ダンナが買ってきた今日のスィーツ。
美味しかった~。
B級スィーツも侮れませんね。
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【2014/07/31 23:59】 | 日記
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(画像はお借りしました)

1)玉ねぎ、ピーマン、しいたけは薄切りに。

2)ごま油を入れて、フライパンが温まったらショウガを入れて香りを出して、豚肉を入れて炒める。

3)ピーマン・玉ねぎ・しいたけ・日本酒を入れ炒める。

4)仕上げに焼肉のタレで味付けし、全体が馴染んだらできあがり♪

ごま油が決め手!
焼肉のタレで簡単にできます。

ネットのレシピからさらに簡略化しました!

★★
昨日、ドライカレー作って、玉ねぎとピーマンが結構余ったので、今日消化できそうで良かった(笑)

【2014/07/31 14:53】 | 超簡単クッキング!
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以前に「簡単ドライカレー」をアップしたことがあったのですが、それとは少しだけ違うやり方で。

1)刻んだ玉ねぎとピーマンを炒めます。

2)にんにくとひき肉を加えてさらに炒めます。

3)カレー粉を入れてさらに炒めます。

4)ケチャップとソースを加えて混ぜます

5)白ワインを振り入れます。

6)塩で味を調えます。

7)別にゆで卵をつくっておいて刻んでおきます。

8)ごはんにさっとカレーとお肉野菜をのっけて、トップにきざんだゆで卵をのせて終わり。
お好みでパセリも。





(画像は古いお料理の本より。お借りしました!)

【2014/07/30 11:22】 | 超簡単クッキング!
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No title
eri
きょうかさん、暑中お見舞い申し上げます。

白ワインを使うのですね。 おいしくなりそうですね。

冷蔵庫にひき肉はないけれど、豚肉とピーマンがあるので、今夜はカレー味炒めにしてみようと思いつきました。 メニューが決まっていると食事の支度も楽です。

ムーちゃんは夏バテはしませんか?

eriさん
きょうか
コメント、ありがとうございます!
本当に暑いですね~
暑中お見舞い申し上げます!

カレー味炒め、おいしそうですね!暑い時にぴったりな感じです。
メニューが決まると、確かにほっとしますね(笑)

私はレッスンの時の生徒さんとの会話で、メニューのヒントを頂くことが多いです(笑)

ムーのことでコメントありがとうございます(^^ 
フローリングの廊下で長々と寝ています(笑)冷たくて気持ちがいいみたいで、今のところとても元気です。
ありがとうございます(^^

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ケーキ、おいしかった!
ありがとうございました!

【2014/07/29 18:56】 | 日記
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ダンナが私の誕生日のケーキを予約したとき、ついでに買って来てくれた。

これは新作で、さっぱりしておいしかった!

【2014/07/29 18:53】 | 日記
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【2014/07/29 18:51】 | 我が家のネコちゃんムータン日記
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一応粗く(ものすごく粗い笑)まとめました。一応終わってほっとした!

【2014/07/26 13:58】 | 読んだ本・論文の備忘録・学んだこと
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・・・・久しぶりにSister Act を見てます。

最近の、お酒のお供はダンナの会社の方に頂いたもも!毎晩楽しんでます(^^

【2014/07/24 16:19】 | 日記
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「天使にラブソング」を夕食後の鑑賞タイムに見ることにしたので、部屋で見る(聞く)のは「いとこのビニー」にしました。
これも久しぶり。

【2014/07/21 21:39】 | 部屋でかけっぱなしにしているDVD
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ダンナが、ムーをもらってきた「ライフボード友の会」のHPを見ていて、「ほらこんなネコがいるよ、うちのムーもこんなんだったんかもしれないねえ」と。

うわ~小さい。ムーの小さい時を知らないので、こんな感じだったのかなあと。

黒猫1

黒猫2

(画像は「ライフボード友の会」からお借りしました)


【2014/07/21 18:38】 | 日記
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昨日は半日旅行(?)を楽しみました。

いつもの温泉と韓国料理!
あのスープは絶品!

いちごマッコリがなくて、カルピスマッコリにしたけど、返って美味しかったわ~100円安かったし(笑)

来月また行きます!

【2014/07/21 11:21】 | 時にダンナと出かけるのも楽しいです。
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元教え子に招待してもらったので、日本舞踊を鑑賞しました。
仕事の前に国立劇場へ。

いや~本当に美しかった!素人から見ても動作の美しいこと!













舞台から落ちてきたの拾ってきちゃった(笑)










【2014/07/20 08:46】 | 日記
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今日からこれに戻します。

【2014/07/19 16:06】 | キッチンでかけっぱなしにしているDVD
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きょうからSister Actにしました。

前のは10か月くらい聴いてた(見てた)(笑)

【2014/07/18 18:28】 | 部屋でかけっぱなしにしているDVD
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今日から本当に本気で始めます!大変大変!頑張ります!

【2014/07/18 09:34】 | 日記
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ダンナ激写!ムーが肉球を見せて寝ています(笑)

【2014/07/17 19:59】 | 我が家のネコちゃんムータン日記
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これから2ヶ月弱、英語の勉強を中断します!!(>_<)

【2014/07/17 11:26】 | 携帯から
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これ当たってるわ!

引用させて頂きます。
>世間があたりまえと思っていることを疑い、他人が信じていることを相対化し、タテマエのウラをかくのが、社会学者の習い性だからです

すべて「ふぅ~ん」と見て、感動したりしなくなる
冷めた目で生暖かくみるようになる

ようになった自分を自覚してました(笑)

私個人的にはもう一つ、「人が見ないふりをしているものを、大っぴらにさらす」学問じゃないかと思ってます。


【2014/07/15 18:00】 | 日記
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昨日の勉強会で友人が描いた絵。
シンプルなのに上手。こういう絵が描ける人いいなあ~。

【2014/07/14 17:32】 | 日記
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昨日は英語勉強会⇒ネイル⇒美容院⇒カフェで勉強

の行程でした(^^;


夏らしい~ありがとうございました。

担当生徒の筑波大の女の子、みごとに筑波大学大学院に合格!ほっとしたわ~ほんとうに良かった。
お母様からも生徒からも本当に感謝して頂けて、良かった。

それで、ダンナがスィーツ買ってきた(笑)
合格おめでとう!



【2014/07/14 16:31】 | 短い爪でもネイルアートは楽しいです。
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白身魚切り身
あさり
プチトマト(二つに切って)
パプリカ(赤・黄) 細く切って
にんにく(チューブいりのです笑)

上記をルクルーゼに入れる。
白ワインとコンソメスープを入れる。
塩コショウする。

アサリの口が開いたらできあがり!
仕上げにオリーブオイルをかけます。

昨日、美容院に行ったときに読んだ雑誌のレシピより。
写真は雑誌から撮りました(ごめんなさい!)
雑誌のレシピをさらに簡略化。
オリーブが入っていましたが、私は好きでないので外しました。

【2014/07/14 15:57】 | 超簡単クッキング!
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苅谷先生の「インセンティブ・ディバイド」はほんとうだと言わざるを得ない。

偶然面白い掲示板の投稿を見つけました。

1)トピ主さんは「赤毛のアン、を知らない人、に驚いた」と言っているのに、ほとんどの人が「読んだことがない人」にすり替えて勝手に激怒している。(基本読解力・国語力の低下)

2)自分の「読解力欠如」にまったく気づいていない(これは1そのものより問題です。気づいている場合はまだ良いのです。みなさん、自分が「知性派」だと信じている。それが怖いんです。)

3)そもそも本当に「知らない人」もいる。

苅谷先生は、その他、もっと辛辣なことも他著で書いていらしているのですが、このトピックは先生の主張を裏付けしているような気がしてなりません。
本当に興味深いことです。

Japan is hopeless. だと言わざるを得ない。辛口だけど。


面白いなと思った投書
>でも、ここで「読んだことない」「好きじゃない」「何が悪いの?」と言っている人たちは、リアルでは言えないんですよ。

散々関係ないことを口汚く言い散らして「リアルでは言えないから・・・」というのは本当に日本人の特徴だと思う。

地震の際、礼儀正しさが評判になった日本人。
列にきちんと並び助け合う日本人。
それは人前という目があり、恥の文化が働いているからにすぎない。

いったん匿名の世界になるとタガがはずれたようになる。
ネットというものが出てきて、日本人気質が大きく全面に現れていると思う。
2ちゃんねるを扱った社会学の論文は数多くなってきているが、社会学者からするとネットは宝の宝庫だわね。

もうひとつ面白い投書
>ご自分が知ってる事は世間はみんな知ってると思うのって
とても視野が狭く、片寄った考えですよ。

そうそう、「驚い」ちゃいけないんだね。
それから「呆れても」駄目。
ましていわんや「怒る」のも絶対に駄目。

なぜか?なぜそうなるのか?を考えないとね。肝に銘じておかなくては。

たとえ1+1が2になるということを知らない人がいても驚いては駄目。
驚くのは社会学を学ぶ人のすることではない。

なぜそういう人がいるのか?を考えなくては。
(個人的には『赤毛のアン』という小説があることを知らなかったというのは、1+1がわからないのと同義だとは思いますがw)
偶然読んだスレッドだけど、ためになったわ(笑)
くっだらない掲示板だけど、学んだこともあったので「学んだこと」のカテゴリーに入れちゃおっと(笑)

【2014/07/14 12:40】 | 読んだ本・論文の備忘録・学んだこと
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大阪大学の先生が、以下のようなコメントを出していらっしゃいます。
本当にわかりやすく書いていらっしゃいます。
小学生でもわかるレベルだと思います。
本当にすばらしい。わかりやすい。

でも、今の日本人にはわからんのでしょうね(呆)
この先生の文を読んでも「ネッシーとか難しいことわからないけど、小保方さんかわいい、頑張れ!」と言いそうだw

私、自分が頭がいいと錯覚してしまいそうで本当に怖いです。

以下、引用させて頂きます。

★★★

難しいことはわからんが再現実験を支持する、という一般市民の方へ
阪大生命機能研究科・近藤滋

生命科学研究の内容が専門的すぎるので、STAP をネッシーに、理研CDB をNASA に喩えて説明します。(NASA の人、ごめんなさい)どちらも、もし本当にあれば世界的に興味を引き、科学の歴史が塗り替えられること、間違いありません。

20@@年1月、NASA の研究員が、ネッシーを発見しその証拠として体の一部を持ち帰ったと論文に発表しました。写真を見た専門家が本物であるとお墨付きを与えたため大騒ぎになり、雑誌、TV が特番を組んだりして、世間の話題をさらいます。総理大臣と会談する予定まで組まれるなど、発見者は一躍時代の寵児となります。

ところが、論文に多数のおかしな点が見つかります。ほとんど全て図に画像操作の跡が見つかりました。調査のデータは、ほとんど落書き程度のノートしかなく、しかも、「ネッシーを見た」のは、調査隊の中のただ一人だけであることも判明しました。
その上、その発見者が3年前に書いた「雪男発見」という論文に載っている「雪男の足跡」の写真が、ネッシーの足跡として使いまわされています。それでも、その発見者は「画像の単純ミスはあったが、ネッシーはいます。」と主張し続けます。

NASA は、調査委員会を立ち上げましたが、動かぬ証拠であるはずの、持ち帰った「体の一部」については、どういうわけか「調べない」と宣言します。幸い、体の一部の細胞からとった遺伝子情報が論文に載っていたため、外部の人がそれを解析したら、ワニの細胞であることがわかってしまいました。

つまり、「ネッシーを見つけた」と信じうる物は一切無い上に、インチキの証拠はいくつもあるのです。にもかかわらずNASA は、かなりの費用(原資は国民の税金です)を投じて、前回と同じメンバーの「調査隊」にもう一度ネッシー捜索に派遣しました。あなたは、この調査隊を信用し、税金を使って調査を続けることを支持しますか?

上の喩えで、以下のように置き換えると、そのままSTAP 事件の記述になります。
NASA>理研
ネッシー>STAP
雪男>spore like cell
足跡>テラトーマ
ワニの細胞>ES 細胞



【2014/07/10 12:58】 | 日記
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生徒さんが結婚10周年で旦那様から贈られたお花!
華やかでセンスがあるわ~。

次のレッスン再開は9月です。
でもあっという間に9月になりそう!



【2014/07/09 15:37】 | 日記
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『階層化日本と教育危機』

背筋が寒くなり、大きなため息が出た。

努力さえ、階層に差があると言っている著者。
そして、階層の下に属し、努力をしない人ほど自信に満ちているというのだ。

「相対的に出身階層の低い生徒たちにとってのみ、『将来のことを考えるより今を楽しみたい』と思うほど、『自分は人よりすぐれたところがある』という〈自信〉が強まるのである。」

なぜ努力を放棄した人が自信がたっぷりあるのか。それはわかりにくい。

しかし、「国がお金をよこさないんだもん、国がお金をよこしてくれれば、努力するよ」、という人もいそうだ。

以前、とある人が私に「大学ってカネかかるじゃん、それに予備校とか行かないと試験うかんないよーになってんだろ?
予備校とかってうちそんなカネねーし。だからうちの子どもは大学なんてとこには行かねーっつーの。国がもっとカネはらえってんだよ。金持ちからもっと巻き上げろってんだよ!」と語ったことがあった。

その人は女性で40過ぎていたけれど、美人だった。美人なので、そういう下品なものの言い方をしても様になっていた。

私は「いや、予備校に行かないで自分で努力して大学行く人もいますよ、自分で努力する人もいますよ、確かに予備校に行ける人は恵まれているかもしれないけれど、皆がそうじゃない。」と言う言葉を言うことはできなかった。

「お金がない」=「うちの子(私)は悪くない!」ときっぱり言う彼女の姿は自信に満ちていた。

彼女は、本当に自信にあふれていて、息子自慢をいつもしていた。
素直で、イケメンで、女の子にとてもモテる。

彼女は美人で息子さんも彼女に似ていたので確かにイケメンだった。

背が高い。
あいさつがちゃんとできる。
優しい性格。


もちろんイケメンで素直で異性にもてることは素晴らしい資質だと思ったが、どうも私はしっくりこなかった。違和感があった。その違和感がなぜだかわからなかった。不快では決してなかった。ただただ気になった。
彼女の自信はどこから来るのだろう?と不思議で不思議でならなかった。(でも、繰り返すけれど、不思議なことに不快は全く感じなかった)

彼女の息子さんがガールフレンドと青春を謳歌しているとき、私の担当の生徒たちはこつこつと単語や日本史の暗記に励んでいた。みんな彼女や彼氏なんていない。そんな暇などない。モクモクと毎日勉強しないといけないから。受験生だから。

そのことを彼女は知っていたが、でも、その差を口にはせずとも、内心馬鹿にしていることは感じられた。「つまらない暗記しちゃって、そのあいだうちの息子はガールフレンドと青春を楽しんでいる」と自慢に思っていることが感じられた。
その息子さんのガールフレンドは家にいりびたるようになって、そのうちセックスも家でし始めた。

毎日毎日その息子さんがセックスを楽しんでいる時、私の担当生徒たちは単語を覚えていた。

どちらがいいのでもない。どちらがエライなんておかしな話だ。
でも、彼女がなんでそんなに自慢するのかわからなかった。
毎日セックスしている息子さんが偉くて、単語を覚えている私の担当生徒は何かいけないみたいな感じすらした。
彼女がとても自信にあふれていたから。

彼女の自信が不思議だったのだけれど、少し謎が解けた気がする。

努力さえ、階層化しているというとは。衝撃的な本だった。

【2014/07/07 16:06】 | 読んだ本・論文の備忘録・学んだこと
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『大衆教育社会のゆくえ』
大衆教育社会のゆくえ―学歴主義と平等神話の戦後史 (中公新書)

1950年以前
貧困 = 学歴の差  ということが歴然。
     所得が少ない家庭の子は学歴が低い、という事実が歴然と認められていた。

高度成長期以降
貧困=(この部分消える) 学歴の差、ということのみが問題として残る
高度成長期以降は、貧困ということが問題視されなくなり、忘れられる。
所得による格差が見えにくくなる時代


(「一億中流時代」と皆が思う時代到来)

しかし今度は「貧困による差」が切り離されて、この「学歴の差」による差「のみ」が大きく問題になる。
いい大学さえいけば、「生まれ変わり」も可能。人生一発逆転も可能!
イギリスなどでは、貧困層から良い大学に行った人が、「育ちの悪さ」に苦労する例があるけれど、日本ではそれがない。もともと階級社会ではないので。
人種の差もないので、良い大学さえいけば、一発逆転が狙える。
(アメリカでは、這い上がって「良い大学」に行っても結局人種差別の壁があることがある)
日本では「階層社会」も「人種差別」もないので、学歴による「生まれ変わり」が可能になる。


しかし、それにも疑問がもたれるように。
(例・良い大学に行かないと、大会社に入れない、高い所得が得られない、それっておかしくないか?)

例えば明治時代などは、大学で得る知識=実力 (役に立つ「近代知識」を得た人々)だったので、大学の学歴=実力とみなされていたので問題がなかった。
しかし、今の大学入試ってただの些細な知識の暗記じゃないか! という疑問。

・そもそも「受験のための勉強」≠実力 じゃないか!役にもたたないつまらない知識を詰め込むことが受験じゃないか!
・一度しか(18歳の時しか)チャンスがないなんておかしい!本当に実力があってもたった一回のチャンスのみで図って、二度とチャンスがないから、這いあがれない人がいるなんておかしい!本来実力がある人なのに、おかしい!

ということが問題になり、「学歴による差」が問題になってくる。



・学歴による差があるなんておかしい!学歴≠(社会で必要な)実力なのに!!
・でも、文句を言っていても世の中変わらない!他の子はともかく「うちの子」だけには損をさせたくないわ!うちの子はいい大学に行かないと損しちゃう!
・頑張ればうちの子でもいい大学に行ける!!!

そうして我も我も、と大学入試に参戦しはじめる。(わが子を駆り立てるようになる)
<メリトクラシー大衆化のはじまり>

頑張ればみないい学校にいけるはずでしょ!うちの子には親より一ランク上の学歴を持たせたい!という想い。
頑張れば、頑張れば、頑張れば、誰だって!という想い。うちの子だって!という想い。
これこそが、これがメリトクラシー大衆化

習熟度別クラス反対の流れ 
みんな頑張ればできる「はず」なんだから平等の教育を与えるべき。できる子とできない子を差別するなんておかしい。みんな同じ教育を与えないとだめでしょ、不公平でしょ、だってやればみんなできるはずだもの、という流れ。
みんなやれば100点取れる!みんながんばれ!

(注・戦後、貧困が問題になっていたころは「能力による個別指導」はむしろ民主的なものとして歓迎されていた。貧困で差別されてはならない、貧しさのために勉強が遅れている者にはそのレベルに合わせて丁寧に教えるべき、という考え方。高度成長期以降、貧困が社会問題にならなくなってからは、「平等に教えないなんて不公平!」という考え方に変わってくる)

能力の差があるということは皆密かに知っていることだが、言ってはならないこととされる。やればできる!努力すればできるはず!ということが前提になっているから。
「努力」の末、エリート大学に行ってエリートになった場合も、それを全面に出してはならないとされる。
(例・大卒の人が高卒者の前で、「大学時代は~」というのははばかられる、という話を思い出した。「学生の時は」「10代のころは」とかなどと言葉を濁す人もいる。「大学時代は」と言ってあとで同僚にこっそり注意された、なんていう人がいたことも思い出した。)

本来、「努力」の末、有名大に行ったわけだから、堂々とエラそうにしていれば良いはず。
だって「努力したから」でしょ?何が悪いの?

「格差」問題は、教育の大衆化によって見えづらくなっていた。

でも、そこには「家庭環境の差」「もともとの能力の差」があることが、皆は実はわかっているということだろうか。
こっそりと皆、本当はわかっている。だから「良い大学・良い就職」をした人は偉そうにしてはいけない、ということでしょうね。「みな平等」というようにふるまっていないとダメ!

<日本教育の特徴>
・皆が高校・大学をめざしてその結果、良い仕事(大企業にて高収入を得る)を目指すメリトクラシーの大衆化
学歴の差による差って本来おかしいけど、でも私は(うちの子は)いい大学にとにかく行く!社会がおかしいのを変わるなんて待てない!

・形式的平等主義(みんなやればできるでしょ!)<家庭の収入による格差・生まれつきの能力の差は見ないフリをされる>
「同じ」選抜なんだからその結果、エリートとそうでない人が出ても当然でしょ、という考え方。反面、そこには潜在的な能力の差、家庭環境の差があることが密かな秘密になっているので、堂々と差別をひけらかしてはいけない。よって「明確なアイデンティティーをもたないエリートたち」が生まれる。(自分がエリートだということをひけらかさないようにする)著者曰く「学歴エリートはノンエリートたちに差別感を与えまいとする心性を獲得していった」


この結果、日本経済には良い影響を与えた。
1)業績主義(頑張ればハイ・リターンがある)の浸透
2)平等主義は協調性を生んだ。


著者の苅谷先生は最後、こう結んでいます。
表面的に「○○が悪い!(偏差値が悪い、学歴社会が悪い、などなど)」と言っても何も解決しない。
「教育に何ができるのではなく、何ができないのかを考えること」
一面的にでなく、全体像を見よう、ということでしょうね。一つのみの要素を取り出して、それだけ切り落とすことはできませんから。

フィシュキン(アメリカの社会学者)は、平等の実現の難しさを「トリレンマ」と呼んでいる。

平等に価値を置く社会では、次の3つの原則を全部満たす音が難しい。
1)能力主義
2)生活機会の平等 (生まれによって不平等があってはいけない)
3)家族の自律性

1)と2)を満たそうとすると、3)が実現できなくなる。子どもを全部一つに集めて切り離して育てないと、1と2が実現できない。

学歴社会も、能力主義批判も現代の「神話」である。
その子の個性を大事に・・・と言っていても、その「個性」自体が家庭環境による差によるものであることは歴然としている。
成績や偏差値ではなく、スポーツや芸術で・・・などといっても、それ自体が親の経済力や職業に影響を受けていることもすでに知られていることである。

(これは私の感想だけど。よくAO入試ズルイ!と言っている人多いけれど、結局AO入試だって学力テストだって、真の「平等」によるものじゃないということは明らかだと思う。)

最後の最後に苅谷先生の言葉でとても印象に残った言葉を引用して終わりに。
数字ではなく、本当に大事なことは、その現象を人々がどう見ているか、ということである。



★★★
これは、著者はもちろん書いていないことで、私の感想なんだけれど。
以前は家庭環境にも頭脳にも恵まれ、良い大学に行った人が「あえてそれをひけらかさない、みな平等なのだから」「平等!」という態度だったけれど、最近はその逆、が起こっていると思う。「平等」が逆に働いているような。

「うちはお金がない、だから子どもには大学には行けない。もっと国が何とかしてほしい。お金を持っている人がうちの子に援助してほしい、だってうちが貧乏なのはうちが悪いんじゃなくて国が悪いんだもん、お金持ちズルイじゃん、カネよこせ!皆平等だろ!カネよこせ!金持ちはカネよこせ!カネ!カネ!よこせ!よこせ!ズルい!ズルい!」という感じの人が増えていて「逆転」現象が起こっているような気がしてならない。

この本が書かれたのは今から20年前ですから。今は事情がだいぶ違ってきていると思います。このあたりもちゃんと調べたら面白そうではありますが。



『大衆化とメリトクラシー』
大衆化とメリトクラシー―教育選抜をめぐる試験と推薦のパラドクス

大衆教育社会の現在。
偏差値教育に加熱しすぎたという不安から、AO入試や推薦入試が普及した。
現在、一般入試による「エリート選抜」とAO入試の「マス選抜」が同時に働いている。
エリート選抜もなくならず、存続している。

この本に対する書評のサイト。

このサイトの方の意見に同意。
・経営という視点がないこと。
・卒業の時の(AOを用いて大学に行ったメリットを示すための)就職状況などが書いてないこと、が気になる。

あと、どうしてもAOといっても「有名大学」「そうでない大学」さらには「超一流大学」「一流大学」「中堅大学」「下位大学」「無名大学(通称Fラン)」の違いが欲しい。
そもそも「マス選抜」を通ってきているのに「エリート選抜」と同じ結果が欲しい、というのがAOを狙う父兄や生徒の目的でもある場合が多いのだから。

あと日本の文化とAOを取り入れることの温度差の違い(うまく言えないけど)にも触れて欲しい。
みんな同じ=公平
違う=不公平
とする文化の中でAO入試がどう働いているのか。

AOが使えない人は「ずるい!」と思う。なぜ「ずるい」と思うのか。

【2014/07/05 22:31】 | 読んだ本・論文の備忘録・学んだこと
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『「なんで英語やるの?」の戦後史』 読了。
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戦後半世紀は英語は実は「選択科目」だったという衝撃の事実。知らなかった~。
英語は実は2002年に初めて必修教科になったなんてそれだけで驚きでした。
あんなに英語英語、と皆さん(私も)熱心なのにね。

なぜ英語は必要なのか?という議論はずっと昔からなされてきたことがわかる。
以下、議論の流れ。(→ は私の感想)

・義務教育の目的は社会の求めるものに直接応じることではない。英語教育は基礎教育の一貫としてなされるべきだ。(学校は職業訓練校ではないのだから、「直接」役にたつことを教えなくてはならない、ということにはならない)

・1950年代から1960年代、農村と都市の間には文化格差があった。農村においては英語を勉強する意義など父兄のあいだには全く感じられていなかった。「英語なんかやるより、裁縫を教えて欲しい」

・英語は必要な人も、そうでない人もいるのだから、必修科目にする必要はない、と考えられていた。

・中学生が「国際的視野」でものを考えるために英語、というのは空想的すぎる。

・どうせ、英語は日本人の9割には必要がない。だったら、国語・社会に力を入れるべき。

・ジャックとベティーが何時に起きるのなんだのということを暗誦するよりは、幾何をやったほうが論理力がつく。(→個人的にはここはかなり笑った!)

・全員が必要な到達基礎基準に到達するようにし、あともっと必要だと思う生徒に「のみ」発展的内容をやらせれば良い。

・英語をやるのは「エリート生徒」だけだというのはよろしくない。教育に不平等ができるのはよくない、だから全員に英語をやらすべきなのではないか。必要性を感じていなくても英語の授業数を減らすのは良くない。

・「平等」に「国際人」を育てなくてはならない!不平等、格差は良くない。(→なぜ大切か、「国際人」とは何か、という定義がはっきりしないまま、「平等に国際人を!」という意見が先行していると思う)

・英語を勉強させないと格差を生んでしまう!(→ここ、著者の方がバイオリンと英語教育を比較しているのが面白かった。バイオリンも、やっている子、やっていない子がいるけれど、それは「格差」とはみなされない。それは、バイオリンをやっていることが「将来のステイタスと無関係」と考えられているからだ思う。英語=ステイタス=格差 とみなさられているということだろう。)

・高校入試に英語が導入されたことで、英語必修化の動きに大きく進んだ。

・「英語は役に立つ!」という論があるが、それは「役に立って欲しい」という願望の表れである。英語は「きっと」将来必要になるから子どものうちからやらせるべきだという願望である。実際は英語ができなくとも困る事などない。

・もともと英語が必修化にできなかったのには、「必修化にするには教員の数が足りない」という問題もあったからである。それがベビーブーマーによる現象で解決した。ベビーブーマーによる生徒激増に対応するため、英語教員を大量に採用せねばならなかった。その後、生徒数が減少したあと、英語教員の人的余裕を生みだし、英語授業の新規開講を可能にした。

・英語には「教養」としての価値がある。実用ではなくその教養としての価値から勉強させるべきだ。

・立派な公民になるために教養としての英語を学ぶ必要がある。重要な倫理的原理と慣習とが言語と文学の中に含まれており、英語は品性の発達に役立てることができる。

・英語そのものを学習することで教養となり、人間を育てることに役立つ。知的訓練に役立つ。(→、数学を学ぶのが必要というのと同じ原理?数学って直接は役に立たないけど、思考力を育てるのに役立つと言われているけれど(数学の先生ごめんなさい)、それと同じということだと思う。)

・1950年代から1960年代にかけて「英語の指導方法」について大きな関心が持たれた。オーラルメソッドなどの音声技能のトレーニングに注目が集まっていた。それと同時に「英語が社会に要求されているか、いないか」という問題は注目されなくなっていった。

・高度成長期後、農家が現象していった。ゆえに「英語なんかいらない」という考え方の父兄がそのぶん減っていった。農家の子どもは農家を継ぐ、だから英語は要らない、という考え方が弱まった。

・現在、「全生徒が英語を学ぶ」ということは自明の理になっている。ある社会現象が、次第に慣習化・制度化されていくにつれて、当時の理念や機能を離れて、規範的な力をもった「伝統」として確立していくことはあまねく見られることである。



★★★
総じて「英語力は必要!」という「イメージ」が先行し、「とにかく英語をやらねばならない」という熱い思いが日本人に先走り、「理由づけ」は後付けであるように感じた。
そしてその「熱い思い」がどこから来るのかは、著者の方も実はおっしゃっていない。

発話力のある日本人が必要!という憧れが多いのと同じ。
憧れがある、という前提そのものが理由になっているのかもしれない。
はっきりとした形がないものに、これだけ熱狂的になるというのも面白いものだけど、そいうことって世間では多いとも思う。
スタップ細胞とやらもそうだし。スタップ細胞などないということはよく考えればわかるのにみんな熱狂的にいまだに信じている。
英語力も同じかも。英語力があって何になるのか?でも熱狂的に「英語を勉強したらいいことある」とみな熱く信じている。
イメージ先行ということは、人間にとって何も珍しいことではないのだろう。

某ブログの方が、この本について「今、高い英語力を必要とするマーケットがあるのに、供給が追い付いていない(英語力がある人材が足りない)」というよりは「今後、需要が高まることが見込まれる、供給を増やす」さらに言えば、「供給を増やすことにより需要が創出され、その結果日本の国に新たな価値が付加される」ということではないか、と述べていらしたが、それも一理あると思う。
英語力のある人がたくさん増えたら、英語の必要なマーケットも実際に増える、それにより、日本もより活性化される、というご意見。それも筋が通っていると思う。

しかし、私は「英語力が必要なのは一割程度、その一割にわが子を入れたい!」という親の熱い思いが英語教育を動かしていると思う。その一割にわが子が入れれば、別に日本なんてどうでもいい、残り9割など「どーでもいいしー興味ない、わが子さえ一割に入れればいのっ!」という熱い思い。そしてその一割にわが子が入れるという熱い信仰と信念。

私が旧ブログをやっていた時に、私に向けられた多々の暴言にはその熱さが感じられた。
(「臨界期すぎてから英語頑張っちゃって・・・タイヘンですねっ!うちの子は5歳で英検2級ですよ!あっという間に1級とっちゃってきょうかさんなんか足元にも及ばなくなりますね~あっごめんなさいね~本当のこと言っちゃったかもデス・・・なんちゃってなんちゃって・・てへ」みたいなものwwこういう「お母様」多かったわ~そしてそのお母さんご本人は英語駄目なのは共通のお約束のようであったけれどw)

もしくは、本人の場合は「英語力を身につければその一割に入れる!」という「幻想」もしくは「夢・希望」ではないかと。

この本の著者の方も「英語力を身につけても別に収入は変わらない」と書いていらっしゃる。
では、英語、英語という皆のあの熱い思いはなんなのだろう?

学歴分断社会、という言葉があるけれど、英語力分断社会、なんだろう。
学歴と英語力の働くメカニズムにとっても興味がある。

日本人にとっては英語力=学歴 と同じように働いているように思われる。

さらに「グローバル社会の今こそ、発話力、プレゼンテーション能力が必要!」という「イメージ」

「次世代リーダーなんちゃら」みたいなセミナー持ってる高校ってとっても人気があるもの。かくいう私ももし子供がいたら、必死でそういう高校にわが子を入れようとするだろうしww 人のことは言えないわね。親だったら当然のことだろう。

プレゼン能力=英語力=学歴、といってもいいかも。それが社会で働いているメカニズムを知りたい。

学歴、を得たら何が見えるのか。
発話力を得たら何が見えるのか。
英語力を得たら何が見えるのか。

あの時、「うちの子、今は五歳だけど、英検2級だから、あっという間にきょうかさんなんて足元にも及ばなくなりますね~なんっちっててへへ」と言ったお母様はご子息を何にしたかったのか。「グローバルな仕事」というのはなんなんだろう。お母様はご子息をゆくゆく何にしたいのだろうか。

「国際化」のイメージが強いのはなぜか、それを知りたい。

最後にこの著者の問いを書いて終わりにします。

「英語力の差によって富の差が生じるわけでもないのに、なぜ英語学習の差は不公平感を生むのか?」

【2014/07/05 12:05】 | 読んだ本・論文の備忘録・学んだこと
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クリニックの帰り。

【2014/07/04 16:06】 | 携帯から
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