1月は84分。
スポンサーサイト

【2015/01/31 20:45】 | Yoga
|
「TOEIC メガドリル Part 7」 277番から 298番まで。

【2015/01/31 15:03】 | リーディング
|






オーストラリアからの3か月の留学を終えて、帰国した高校二年生の女の子のお土産。
3か月という短い期間でも、すごく効果があったようで、英語力は確実に上がっていました!

パッケージ、カードみたいで可愛い♪

【2015/01/31 14:05】 | 日記
|
「TOEIC メガドリル Part 7」 251番から 276 番まで。

【2015/01/30 20:01】 | リーディング
|
「TOEIC メガドリル Part 7」 252番から276 番まで。

【2015/01/30 13:27】 | リーディング
|




大雪の予報出てたけど、結構早く止みました。

【2015/01/30 13:23】 | 日記
|
41c0j-ADBHL__SY344_BO1,204,203,200_

この本の中で一番印象に残ったのは以下の3つ。その3点のためにこの本を読んだ価値が(私にとっては)あったといってもいいくらい! しかもその3点は序章にあったという(笑)

・「常識を『うまく』手放すこと」
・「そのためには定義を厳密にすること」
・「両方が『部分的に』に正しいとすること」

☆☆

【】内は私の勝手な(笑)感想などです。

★常識を「うまく」手放すこと。
・違った問題が2つあったとする。
例)「独学はできる。」「独学はできない。」
普通、独学してきた人は「独学できる」というのが正解とし、独学してこなかった人は「独学などできない。」と考える。この対立する二つの主張が並列している時、「どちらかが正しい」という常識をいったん停める。さらに「どちらも自分のことを正当化したいだけ」という常識もいったん停める。
その次に重要なことは、「どちらも部分的に正しい」という具体例を探してみること。どちらも正しいという一見、矛盾するあり方が「例えばどういう形ならば成立可能か」と考えてみるのである。

・他人の常識ではなく、自分の常識を手放すのである。そしてそれは自分の常識ゆえに難しい。

・「部分的に正しい」という具体例を探すためには、「独学=1人で学ぶ」とはどんな作業なのかが改めて問題になる。もっと「独学している・していない」を「もっと厳密に定義する」ことが必要になってくる。
片方しか正しくない、と思える場合でも、思考を繰り返していくと「部分的に両方正しい」ということが成立する条件が見つかる。
これをうまくやらないと、ただの「独善」に陥る。

・多様性が大切である。
【これ、難しいね。ネットの掲示板やブログなんか読んでいると、(まあ、その人たちは学問しているわけじゃないから、当たり前なんだけど)ただひたすらに自分のコンプをぶつけているだけの文章が多い。それで何度も何度も何度も同じことを書くの(笑・あら私もだw)
ブログならいいけどね、社会学やるんならそれじゃダメ、当然すぎるけど(笑)】

・厳密に定義していく。(例・ここでは「独学とは何か」=「本と対話することができるとうこと」と定義する。)
 1)「本と対話できる人」→ 独学をする → 成功 →「独学できる」と判断。
 2)「本と対話できる人」→ 独学をしない→「独学は無理」と判断(独学できるという能力を持っていたとしても、独学するという経験を積まないゆえに、人と接するほうが楽と判断する。)
 3)「本と対話できない人」→独学をする→ 不成功 → 「独学はできない」と判断。
 4)「本と対話できない人」→独学をしない→「独学は無理」と判断
このように厳密に定義すると、「独学できる・できない」とはどんなことなのかをより明確にしていけるのである。

【これ、序論にさらっと書いてあることで、著者の先生からすると「これはまあ、前菜だから」ということなんだろうけど、私にとっては深いため息がでるほど感動した(笑)
社会学ってなんて面白いんだろうと思った。
よくネットでいろんな争いがあるけれど、そうした人たちが社会学をやってみたらどうなるんだろう、とちょっと思った(笑)独学できる、できないどころじゃないいろんな争いがあって皆、熱く長く書きこんでるよね~そんでどこまでも結論がでないの、みんな熱いけど、結局は結論が出ないから、最後はものすごい口汚いののしり合いになり、人格攻撃(ネットだから相手のことわからないから、最後には相手のスペックを決めつけて大罵りになる(笑)日本人が礼儀正しいとか聞いて呆れるw)
これって巻末に書いてある「社会学をどう社会に役立てるか」という著者の先生の一言にも関係があるんじゃないかと思うので、次にその「巻末」のまとめをちょっと飛んでやります。】


★巻末より。「社会学はなぜ必要なのか」
社会問題の解決が出来るかもしれない。当事者が解決できない問題も、社会で起こった問題ならば、社会学者として解決が見つけられるかもしれない。そしてそもそも、社会学をやる理由がそんな高尚な気持からのものでなくてもかまわない。「その成果がつねに問われること」を忘れなければ。そして「自らが社会学の制度に依存していることを忘れなければ。」
社会学者は、社会の外に立っているのではなく、社会の内部にいる。それゆえ、社会全体を鳥瞰できない。
【社会学は油断するとあっという間に「ただの井戸端会議になる危険がある」と先生から言われたことを思いだします。】
【あと、社会学者は社会の内部にいるから鳥瞰できない、というのも恥ずかしながらちょっとびっくり。鳥瞰できるんだと思ってました・・・】


★「独学」というものを厳密に定義して、明確にされていないところに注目するようにすると、「独学しなかった人は独学なんて無理だと言い、独学できた人は独学できたと言う」
自分の立場を述べただけの「常識」と矛盾することなく、すっきりとさせることができる。
社会学は、「ある特定の概念や営みに普段備わっているが、明確にされていない部分」に注目する。そうすることで日常的経験と大きな不一致を起こさず、クリアにすることができるのである。


★デュルケーム(フランス)、ジンメル(ドイツ)、ウェーバー(ドイツ)。この3人はほぼ同世代で、19世紀の終わりごろ。活躍の舞台はフランス、ドイツ。


★デュルケーム『自殺論』自殺を(個人的なものではなく)社会的事象としてとらえ、社会的な要因から説明しようとした。自殺を社会的事象としてとらえ、社会の状態から説明しようとした。「社会」から「社会」を説明しようとした。(切り離されたところから、説明するのではなく。)【デュルケームは「社会的事実」が個人の外から個人の行動を支配するものとした。個人の考える事は個人によってでなく、社会的事実によってコントロールされる。社会のしきたり、集団のしきたり、慣習などによって、である。】


★ジンメルは「個人と個人の間には、心的な相互作用が働く」とした。そして「その相互作用が社会という事態を結晶する」と考えた。
・個人と個人がお互いに観察しあっている。「観察する側」もまた「観察されている」。

・私たちは他人のふるまいを、ありのままに見ているつもりでいる。しかし、実はそうではなく、私たちは私たちの「形式」を通して他人を観察している。

・デュルケームは「自殺」を、「社会的事実」としてとらえた。しかし、ジンメルに従って「自殺」を考えたならば、「さまざまな事象を個人の真理に起因するものとして見る形式」があるために、個人的な要因から自殺が起こるように見える、とする。その「形式」が個人個人で別物ではないとすると、個人個人の心理に基づかないと言う意味で社会的な何かと考えることができる。
【ここを読んで、つまらないことをつらつら思い出してしまったのですが(笑)。以前、私が知っている人(仮にAさんとします)に「容姿を絶対的に考える」ことが価値観である人がいました。この場合は「容姿、および独身か既婚かという価値観」が「形式」になるのかな? とにかく、誰の話をするにしても、「お尻が大きい」とか「老けている」「○○才なのに独身」などというところから入るの(笑)Aさんの「形式」からだとすべて、容姿、marital status、および年齢。ところがBさんの「形式」は「学歴」だったから、この二人の会話が本当にかみ合わないけど、見ていると面白いの。Aさんは全然学歴に興味がなくて、大学の名前などもほとんど知らない。「大学なんてカネのムダ、つーかカネさえあれば誰でも行けるっしょ。」と私に言っていたこともある(笑)。AさんはBさんを馬鹿にしていて(Aさんの「形式」による「観察」によるとBさんは容姿に恵まれず、若くない、独身で彼氏もいない寂しい中年女性とみなされていた。ところがBさんもAさんを馬鹿にしていた。Bさんの「形式」による観察によるとAさんは学歴の低い、品のない、学歴もない貧しい育ちの悪い人、とみなされていたのだ。お互いがお互いを見下しているために(お互いが自分を優位にたっていると考えていたため)実はAさんとBさんは仲が良かった(笑)ジンメルの話を読んでいたらAさんとBさんのことを思いだしてしまった。容姿や結婚しているかどうかを重要視する主義、も社会の1つであるし、学歴主義、もまた社会の1つなのだと思う。どちらもAさん「のみ」特有のものではなく、またBさん「だけ」特有のものではない…などということをつらつら考えてしまった(笑)】

・ジンメルの「橋と扉」の話。「常識をうまく手放す」方法が使われている。
橋でつなごうとするためには、もともと「分離」していなければつなぐことはできない。
そして、「分離」させようとするならば「つながって」いなくてはならない・・・と考える方法。「分離」するためには「結合」していないと「分離」ができないとするのである。


★ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は「常識をうまく手放した」例。このウェーバーの仮説は、「資本主義は個人の欲望の産物である」という往来の常識をいったん手放したものである。


★「常識をうまく手放す」には。
・「趨勢問題」人は自分が見ているものが特別であり、特別な流れが今、起こっていると見做しやすい。例)「今、共同体が解体している。」→しかし、それは100年も前から見られる現象であり、現代に特別なこととは特に言えない。

・では、どうしたら良いのか。まずは、「現代の自分」を特権化しないことである。
ルーマンは、「自己論理」と言う言葉を導入した。「他(人)にあてはまることは自(分)にも当てはまる」という論理の進め方。
【ルーマンからはずれるけれど、ある人を強烈に嫌ったり、憎んだりするときは、自分にかかわっている、ということを思いだした。自分のコンプレックスだったり・・・ということをふと思い出した~。それから、何かで読んだのも思い出した。「○○さんの▲▲なところが嫌いです。というところの『○○さん』を『私』に置き換えると意味が通じるはず、というのも。】

・それに対し、デュルケームは、「社会学者が特別な真理や知識を持てる」としていた。しかし、そうした既存の外部観察的な知識をうまく再構築できれば、現代的にできる。つまり従来の社会学の常識も「うまく手放す」ことができるのである。


★ルーマンは「脱逆説化」について触れている。例えば社会学者は「人々の心が不透明化している」「人々にはお互いが見えない」などと言うが、社会学者自身には「見えなくなった心のありかたが『見えている』のだろうか?というもの。

【注1 某ブロガーさんが書いていたリンゴのパラドックスを思い出しました。
父親が子どもに言いました。
「このリンゴを食べてしまおうかな! それとも、おまえにあげようかな? もし、お父さんがどうするか当てたらリンゴをあげよう。」
さあ、子供はなんと答えればリンゴを手に入れることができるでしょう?

もし、子どもが「お父さんはリンゴを食べちゃうんでしょう?」と答えたらどうでしょう。
もしお父さんがリンゴを食べるつもりでいたら、子どもは「正解」なので、子どもはリンゴを食べることができます。

もし、お父さんが「俺をそんな風に思っていたのか?せっかくリンゴをやろうと思っていたのに!」と、リンゴをくれるつもりでいたら、子どもの子供の答えは「間違って」います。
その場合、子どもはリンゴをもらえず、お父さんはリンゴを食べて良いわけです。

しかし、まだ先があります。お父さんがリンゴを食べ始めたなら、子どもの言った「お父さんはリンゴを食べちゃうんでしょう?」は「正解」になります。だから、その場でお父さんはリンゴを子どもに上げないといけないですね。パラドックスです。】

【注2  死刑囚のパラドックス、抜き打ちテストのパラドックスも同様ですね。
ウィキペディアから引用します。

ある教師が、学生たちの前で次のように予告した。
来週の月曜日から金曜日までのいずれかの日にテストを1回行う。抜き打ちテストであり、テストが行われる日がいつかはわからない。
これを聞いたある学生は、以下の推論の結果「抜き打ちテストは不可能である」という結論に達した。
1) まず、金曜日に抜き打ちテストがあると仮定する。すると、月曜日から木曜日まで抜き打ちテストがないことになるから、木曜日の夜の時点で、翌日(金曜日)が抜き打ちテストの日であると予測できてしまう。これでは抜き打ちとは言えないので、金曜日には抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。
2) 次に、木曜日に抜き打ちテストがあると仮定する。すると、月曜日から水曜日まで抜き打ちテストがないことになるから、水曜日の夜の時点で木曜日か金曜日のどちらかの日に抜き打ちテストがあることが予測できるが、1. により金曜日には抜き打ちテストがないことが既に分かっているので、翌日(木曜日)が抜き打ちテストの日であると予測できてしまう。よって、木曜日にも抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。
3) 以下同様に推論していくと、水曜日、火曜日、月曜日にも抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。したがって、「先生はいずれの日にも抜き打ちテストを行うことができない」という結論になる。

しかし翌週、テストは水曜日に行われた。上記の推論にもかかわらず、学生は全くテストの日を予測できなかった。<引用終わりです>

これは「予測する」ことの定義がクリアーでなかったことによって起こっている現象だと思います。】


★では、「脱逆説化」するにはどうしたら良いのか?
・1つの方向は「心が不透明化している」状態を示す別の基準を導入することである。
例えば
1)ある基準Aを満たせば、「心が不透明化しているように見える、と仮定する。
2)基準Aが満たされるようになってきた、という事実を示す。
3)ゆえに、「人々の心が不透明化している」と結論付ける。   ・・・というもの。

・このやり方を採用した場合、問題になるのは、仮定1)の妥当性である。すなわち、基準Cと「心が不透明化している」の問題である。矛盾をうまく解消するためには、基準Aと「心が不透明化している」の内容が重ならないほうが良い。重なる部分が少なくなりすぎると、「ゆえに、・・・・人々の心が不透明化している」とは言いにくくなる。

・例として
基準A 動機のわからない兇悪な犯罪が増えている。
命題「心が不透明化した」
結論「わけのわからない犯罪が増えているからだ。」
しかし、兇悪な犯罪は本当に増えているのだろうか? 
そもそも「人々の心は本当に不透明化」しているのであろうか?
むしろ「家族のあり方の変化」「組織の変化」に注目したほうが適切ではないのか?

自己論理を組み込んだ内部観察の難しさを示す。

【基準A → 最近は独身主義の人が増え、哀れな寂しい人が多い。
命題→結婚もしない女性は哀れな負け犬である。
その結果、女性たちの心がギスギスして、寂しい女性たちが増えている。独身は哀れで寂しいものである。

みたいな論が多いんだよね~ネットって(笑)
先日見たのは

基準A → 「女」としての喜びは結婚・出産である。
命題→ 結婚もしない女性は哀れな負け犬である。
結果→少子化であり、不幸な人が多いギスギスした世の中になった。今の少子化は結婚しない独身や既婚で子どもを生まない夫婦が原因である。

っていう議論で、みんなが、独身女性や子どものいない夫婦を叩くというのを見た。
これって2ちゃんねるみたいなのじゃないよ、きちんとした機関が主催している掲示板でこれだからね~ 検閲も一応入っているんだろうに、日本人が礼儀正しい、が聞いて呆れるわ(笑)匿名だと何を言ってもいいと思ってるからね~居酒屋や自宅での会話ならともかく、世界中に暴言を発していいと思ってるんだからね。

そもそも基準Aがおかしいから、すべておかしい。
「独身の人ってワインやおしゃれがどうとか、仕事がどうとか、友達との旅行がどうとかって、ほんと哀れだわ~人としての楽しみはあるかもしれないけど、「女」としての喜びがなくて本当、アワレ。と皆叩いているのだが、「人間としての喜び」って「女としての喜び」も含むんじゃないかなと思った。だって、女は人間、でしょ?

まあ、これは極端に下卑た例だけど、基準Aを正しく出す事のいかに難しいことかを示すのではと思った(笑)
「私の友人はまだ独身。私はもうすでに小学生の子どもがいるのに、彼女は、まだ彼氏もいないで、スタートラインにすらたっていない。彼女はなんて不幸なんだろう!」と友人の悪口を書いている人も多かったが、それも激しく「基準A」が間違ってると思うわ(^^; 

この著書では「イタい議論」という言い方をしていたけれど、社会学の先生、大学の教授が「イタい」という表現を使っていることが、何かキュートに思えたわ(笑)】

【2015/01/30 12:29】 | 読んだ本・論文の備忘録・学んだこと
|
2012年慶應法学部 (復習) 「陪審員制度について。」
・陪審員は大変な労力を伴う義務である。
・以前は警察官など特別な仕事に就く人は免除されていた。(今は違う)
・陪審システムには問題があるとする人もいる。例えば、一般の人からすると難しいと感じられる専門的な証拠などをどう扱えばいいのか、などの問題である。
・しかし、それには、いろいろなバックグラウンドを持つ人を陪審員にするなどして対処することも可能である。
・そして、わかりやすく素人、一般の陪審員に証拠をわかりやすく展示するのは専門職の人々の責任である。
・裁判官一人に任せるならば、(たとえ専門職であっても)間違いを犯す可能性がある。

結論
・陪審システムは決して完璧なシステムとはいえない。しかし、他に選択の余地はあろうか。現在の時点では最高のシステムと言っていいのではないか。

【2015/01/29 12:31】 | リーディング
|
2012年慶應法学部 (復習)「陪審員制度について」

【2015/01/28 20:02】 | リーディング
|
2010年01月28日 に以下の記事をアップしてました。

今、話題になっている「トマト鍋」を我が家でやってみました。
担当美容師さんから、作り方も教えてもらって。

美容師さん曰く「トマトソースの元」を使うと簡単と聞いていたのですが、なぜかうちの近所のスーパーには売っていなくて。

トマトソース
コンソメ
赤ワイン(うちは酒豪夫婦だから一本入れちゃった笑)
(あれば)鶏ガラスープの素

ブロッコリー
きのこ類を色々
ほうれん草
豚肉

を入れて。

もちろんチーズも!

締めはパスタ、もしくはご飯を入れてリゾット風に。

本当に簡単、そして美味しい!体もほかほか。やってみてよかった!

★★

先日、美容院で見ていた雑誌で似たようなレシピを見ました。




アサリをいれたもの。
おいしそうですね。
今日はアサリを入れてやってみます!
写真は雑誌からお借りしました。

【2015/01/28 15:09】 | 超簡単クッキング!
|
「人を殺してみたかった」理由で殺人をした女の子が逮捕された。名古屋大学理学部の1年生。

先日「カップルの写真晒します(注・カップルの顔は映っていない)」と言った女の子に対して、ネットが炎上した。慶應大薬学部の同じく1年生。(そのカップルの女性が体格が良かったため、それを揶揄する意図だった)

どう考えても殺人をした名古屋大の女の子のほうが極悪だと思うんだけど。
カップルの写真晒したのもいけないけどさ、顔は映っていないし、しかも殺人じゃないし。

でも、慶應の方は盛り上がって盛り上がって、という感じだった。

名古屋の方のスレみたけど、名古屋大、という大学の名前もほとんど出ていない。ちらほら「頭だけは良かったのね」みたいなコメントがあるくらい。

慶應の時は「慶應大学では盗撮の仕方を教えるのか!」と大変な騒ぎだった。
だったら、「名古屋大では殺人の仕方を教えるのか!」と騒げばいいのに。

これ、慶應に対する「お金持ち」というイメージに対する妬みかなと思ったんだけど、それともちょっと違うと思う。

なぜなら、神戸大の男の子(彼もも1年生だった、文学部)がユニバーサルスタジオのアトラクションを妨害した時は、大変な炎上ぶりで、神戸大の教務責任者がユニバーサルスタジオを訪れて謝罪するということまで騒ぎは大きくなった。

殺人よりもこうした明らかな「小さな」事件のほうが、人々はその所属先に敏感になるというのはなぜ?

青山学院の女の子が不倫した時も「青山青山」と大変な騒ぎで大炎上した。
どう考えても殺人のほうが不倫より悪いと思うけど、どうしてみんな「名古屋大学では」と騒がないのだろうか?

首都大東京の学生が女性を侮辱する動画をアップした時も、炎上の嵐。この時は、首都大は正式に謝罪し、学生を処分した。

どうして小さい事件の時、その「犯人」の所属先に対して炎上するんだろう?

・・・
そもそも大学は研究する機関だから、生徒一人一人を道徳的に管理する責任はないと思うんだけど。
義務教育の小学校や中学校じゃないものね。

【2015/01/28 11:12】 | 思いついたことなど
|
「TOEIC メガドリル Part 7」 249番から 251 番まで。

【2015/01/27 21:16】 | リーディング
|
1月のカレンダーはこんなのでした(^^
獣医さんのところで頂いているのはこちら。



こちらは、今年初めての試みで、(ムーをもらってきた)ペットシェルターが作って販売しているもの。
しかも実費以外はシェルターに寄付になります。


むぎゅっと踏まれたネコちゃんが面白い(笑)

【2015/01/26 16:00】 | 日記
|
「TOEIC メガドリル Part 7」 217番から 248 番まで。

【2015/01/26 05:49】 | リーディング
|
「TOEIC メガドリル Part 7」 201番から 216 番まで。

【2015/01/25 14:50】 | リーディング
|
この記事を閲覧するにはパスワードが必要です
パスワード入力




高3で受験直前の担当生徒のお母様が出してくださった和菓子。

「紅白でおめでたいことがあればと思って・・・」とのこと。
本当にきれいで鮮やか。
担当生徒の男の子は本当に頑張っていると思います。あと少し!

【2015/01/25 08:45】 | 日記
|
2012年慶應法学部(復習)〈会話文〉「お茶について、留学生がホストマザーと話す」

同上「生物が化石になることの条件の難しさと確率の低さについて」

【2015/01/24 17:20】 | リーディング
|
とある掲示板より。

社会学でラべリング理論ってのがあって、
犯罪を犯した人が刑期を終えて出所した後も再び犯罪を犯してしまう確率が高いのは、
周囲の人達が【元犯罪者】だという疑念の目で捉えるから、自らも「自分は根っかららの悪人だ」と錯覚して、再び罪を犯してしまうんだそうです。

このトピで語られる幸せも同じこと。周囲が自分のことを「幸せそう」という評価を下すと、自らも「自分は幸せだ」と錯覚して幸福感に浸れる場合が多いんだよね。言ってみれば、人間の幸福感というのはそれほど危うい感覚だということ。言ってみれば洗脳で幸福というは再現できてしまうと思う。
<引用終わり!>

う~ん、納得するような、そうでないような。
Yes, and No. という感じ。

「他人を傷つける」ことと「自分が幸せである」かどうかは次元が別だと思うんだけどね。
だって、「皆からは幸せと思われていますが、実は大変です」なんていう言葉は良く耳にするし。

逆に「自分はこんなに幸せなのに、なぜ憐れまれてしまうんだろう?」ともやもやする人もいるだろうし。

どちらにしても、「ラベル」や「イメージ」というのは一筋縄ではいかないのはわかる。
前、「たかだかイメージの問題」と言っている人がいたけど、「イメージ」って実はすごく大きい。

「犯罪」の件と違って「自分は幸せかどうか」というのは「他人から認められたい、承認されたいという欲求」と絡んでくるからちょっと要素が違うんじゃないかと思ったわ~。
でも、ちょっと面白いね、こういうこと考えるのって。

【2015/01/24 10:21】 | 思いついたことなど
|
JVEncqaB5xkpMMj_uvKe4_141.jpg

「ほんと、こういうこと言いたくなることがある!」と、とある掲示板に貼っていた人がいたんだけど(人気漫画からの抜粋らしい)ちょっと笑ったわ~。

以前の生徒さんで(この方にはやめて頂いた)色々言う人がいて、こう言いたいことがあったことを思いだした(笑)

それから以前、ブログやっていて、くっだらないいちゃもんつけてくるコメントにもこう言えれば楽だったのになあ(笑)
面白いから保存させてもらうことにした。

【2015/01/23 18:23】 | 保存しておきたい言葉
|
2013年慶應法学部 (復習)<会話文>「忙しい日々を送っているが昇進が近い友人との会話」

同上「時間は果たして戻せるのであろうか?」

同上「DNAの国民的登録をすることへの提案」

【2015/01/23 13:08】 | リーディング
|




ダンナが銀行でもらってきたボールペン。すごくデザイン綺麗!

【2015/01/22 15:51】 | 日記
|
「TOEIC メガドリル Part 7」 180番から 200 番まで。

【2015/01/22 12:56】 | リーディング
|



今読んでいるスヌーピーのマンガはこれ。

小学生の時、親に勧められて、(もちろん日本語版)読んでいたけれど、その時はいまいち面白さがわからなかった。
絵はとてもかわいくて好きだったけど。

今だと、この台詞の面白さもわかる!

英語で読んでいるということが、時の流れを感じて面白い。
ところどころ、日本語で当時読んでいた台詞をしっかり覚えて思い出したりしているので感慨深いです。


【2015/01/22 10:03】 | 日記
|